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ボニー・レイット (Bonnie Raitt, 1949年11月8日 - ) は、米国のロック・ギタリスト、シンガー。ブルース、R&Bの色合いの濃いサウンドが特長。また、女性スライド・ギタリストの草分け的存在としても知られている。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第50位。 2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第89位。 ==来歴== カリフォルニア州バーバンクに生まれる。父親は、ブロードウェイで活躍したスター、ジョン・レイット。母親はピアニストだった。ロサンゼルスで育ったボニーは、8歳の頃ギターを始める。1967年、ハーバード大学附属の女子大であるラドクリフ大学へ進学するためにマサチューセッツ州ケンブリッジへ移住したボニーは、間もなくボストン周辺のブルース・クラブで活動するようになった。サン・ハウスを再発見したことでも知られるブルース・プロモーターのディック・ウォーターマンと出会い、彼を通じてミシシッピ・フレッド・マクダウェル、ハウリン・ウルフ、シッピー・ウォレスといったブルース・アーティストたちと親交を深めていった。 1971年、ワーナーよりデビュー作''Bonnie Raitt''をリリースする。ジュニア・ウェルズが参加、シッピー・ウォレスの曲をカバーするなどブルース色が強い内容で、メディア評はまずまずであったが、商業的成功には結びつかなかった。以後ワーナーからは、1986年の''Nine Lives''まで計9枚のアルバムをリリースするものの、決定的なヒットには恵まれず契約は終了する。 ボニーがスターとしての地位を決定付けたのは、キャピトルに移籍してからのことであった。ドン・ウォズのプロデュースによる移籍第一弾''Nick of Time'' (1989年) は、ボニーにとって初となる全米アルバム・チャートのトップを記録し、3部門でグラミー賞を獲得した。またボニーは、ジョン・リー・フッカーのアルバム''The Healer''でジョン・リーとのデュエットを披露した"I'm In The Mood"でもグラミー賞を獲得し、この年の受賞数は4つとなった。 続く1991年の''Luck of the Draw''もアルバム・チャート2位を記録。同作もグラミー賞を3部門で受賞した。 1995年、初のライヴ盤''Road Tested''を発表。ブルース・ホーンズビーやチャールズ・ブラウン、ジャクソン・ブラウン、ブライアン・アダムスなどがゲスト参加している。 1997年、B.B.キングのアルバム''Deuces Wild''に収録された"Baby I Love You"でB.B.とデュエットした。 2000年にロックの殿堂入りを果たし、翌2001年には、父ジョンと揃ってハリウッド・ボウルの殿堂入りもした。 2003年、マーティン・スコセッシの映画シリーズ''ザ・ブルース・ムービー・プロジェクト (The Blues)''の中の作品、ヴィム・ヴェンダーズ監督の''ソウル・オブ・マン''に出演し、2曲を披露。また翌2004年のライヴ映画''ライトニン・イン・ア・ボトル''(アントワン・フークワ監督)にも登場している。 2006年リリースのライヴ盤''Bonnie Raitt and Friends''には、テレビ番組「Decades Rock Live」からノラ・ジョーンズ、ベン・ハーパー、アリソン・クラウス、ケブ・モ、ジョン・クリアリーといったアーティストとの共演の音源、映像が収められている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボニー・レイット」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Bonnie Raitt 」があります。 スポンサード リンク
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